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岐阜家庭裁判所 昭和36年(家)595号 審判

申立人 川井まつこ(仮名)

相手方 川井一郎(仮名)

主文

相手方は申立人に対し扶養料として下記金員を支払え。

一、即時金一八二、一二三円。

二、昭和三八年七月以降申立人の生存中毎月末限り金六、〇〇〇円宛。

理由

一、本件申立の趣旨及びその実情

申立人は老齢にして無資産であるが、相手方は申立人の二男であつて、昭和四年二月父太郎の死亡に伴い家督相続し相当額の遺産を承継した。爾来申立人は相手方の扶養を受けてその生計を維持してきたが、昭和三五年五月以来相手方は生活費を一切送つてくれない。そのため申立人は生活に困つているので、相手方に対し相当の扶養を求める。

二、調査資料

当庁昭和三五年(家イ)第二四〇号、昭和三六年(家イ)第二二七号、昭和三七年(家イ)第三〇五号扶養調停申立事件の一件記録、戸籍謄本、登記簿謄本、川井寿子、川井伸彦、川井享、川井武郎、川井紀子、川井民子、川井文予、川井正子(第一、第二回)、申立人(第一、第二回)に対する各審問の結果、当庁家庭裁判所調査官の調査の結果、並びに申立人作成の上申書

三、現在までの経緯と申立人の扶養必要状態

(1)  申立人は七八歳の高齢であるが、亡夫太郎との間に一二男二女を儲け、現在生存しているのは二男の相手方(五六年)、三男享(五四年)、八男辰彦(四六年)、二女寿子(四四年)、九男武郎(四一年)、一二男伸彦(三六年)の六人である。

(2)  申立人は昭和四年二月亡夫太郎と死別して以来、相手方の扶養を受けて生活してきたが、昭和二六年一月相手方が飲食店を経営し、岐阜市神室町へ移転するにいたつたので、申立人は二女寿子と肩書住所に居残り、その後相手方から米、野菜等の生活必需品と毎月約六、〇〇〇円の生活費を貰つて生計を維持してきた。ところが申立人はかねて不遇の寿子の身を案じていたところから、せめて現住家屋を寿子に残したいと考え、昭和三五年五月頃相手方に対して現住家屋の所有名儀を相手方から寿子に移して貰いたいと申しいれたところ、相手方はこれを容れることを渋つたため、申立人は相手方と口争いを重ね、その末、自分達で家屋を修理して一部を賃貸しその収入で、生活してゆくから、今後一切干渉してもらいたくないと激しい言葉をいい残して別れてきた。そのため両者は全く感情的に対立してしまい、相手方は申立人に生活費も差し出さなくなつた。そこで申立人はやむを得ず、現住家屋の玄関脇の一室をベニヤ板で仕切り、これを知人の洋服商に賃貸し、月七、〇〇〇円の賃料を得て、これで寿子と二人で生活するようになつた。しかしこれではなお生活費にも足りないのでさらに家屋の一部を賃貸しようとしたが、それには家屋の修理を必要とするので、その修理を三男享等を通じて相手方に依頼したが、相手方はいままでのこともあつて修理の方法を日実としてこれを受けいれない。そのため遂に本件申立にいたつたものである。(相手方は申立人の扶養について既に申立人との間に協議が調つており、申立人は現在家屋の一部を賃貸しそれで得た収入を全部申立人の生活費とすることに定つているのであるから、いまさら申立人から扶養の請求を受けるべき筋合のものでないといつている。しかし相手方のいうように仮りに申立人との間に協議が調つていたとしても、本件はその後生じた扶養必要状態にもとづいてなされた申立と解されるので、相手方のいつているところは理由がないと考えられる。)

(3)  申立人は前記のように二女寿子と一緒に生活しているが、寿子は昭和二六年頃既に肺結核に冒され、その後結婚もせず養生に努めている状態であつて、全く稼働力がない。そして二人の収入源といえば、前記の家賃七、〇〇〇円と十一男邦彦の戦死に伴う公務扶助料年額五三、二〇〇円があるのみであつて、他に資産というものは全くない。上記扶助料は受給者が申立人となつているので、申立人だけの収入とすべきものであるが、二人の生活の実体に即し、これを二人の収入として計算してみると、申立人一人の一ヵ月の収入は約五、七一六円となる。これを総理府統計局発行「家計調査報告」の昭和三七年一月の岐阜市における世帯別標準月当消費支出総額(世帯人員四六八人)三三、二九一円(一人当七、一一三円となる)と対照すると申立人の収入は約一、三九七円少い。とにかく申立人はその生活を維持するのに精一ぱいであつて、時に生活費の不足を来して三男享等から三、〇〇〇円ないし五、〇〇〇円の生活費を受けて生活している状況である。従つて申立人がその地位相当の生活を維持するためには扶養義務者からなお相当の扶養を必要とする状態にあるということができる。

四、申立人に対する扶養義務者とその扶養義務

(1)  申立人の扶養義務者として予定せられている直系血族は前記三の(1)記載の申立人の子である。そこで同人等が現実に扶養義務を負担すべきか、負担するとすればその順序、扶養の程度及び方法いかんについて、以下同人等の資産、収入の状況等を検討した上、判断する。

(イ)  相手方の資産、収入の状況等

相手方は前記のように昭和二六年一月飲食店を始めたが、昭和三四年八月罹患の肺結核が悪化して廃業し、その後岐阜市民病院に入院したり等して加療に努めている。従つて営業による収入は全くないが、昭和四年二月亡父太郎の家督を相続してその遺産を承継取得し、現在岐阜市長住町一○丁目○番地田七畝二二歩外田畑計三筆七畝二七歩、同市若宮町四丁目○○番地の二宅地一〇七坪一一外宅地計六筆二八九坪六八、同市若宮町四丁目○○番の二木造瓦葺二階建店舗建坪二五坪五〇外三棟建坪計一〇二坪六九(以上岐阜市固定資産評価額一〇、八五五、三〇〇円)、家賃収入一ヵ月一一〇、〇〇〇円、地代収入一ヵ月五、〇〇〇円(但し岐阜市昭和三五年度不動産所得額一、〇一九、四〇〇円、普通預金昭和三六年九月末現在合計五三四、六五二円がある。相手方の家族には妻正子、長男彦之、二男隆之、三男寿之の四人があつて、長男は大栄石油会社に勤務して年額二七二、九九六円の給料を得、二男は立命館大学、三男は関西大学にそれぞれ在学している。

上記のように相手方は加療中であるため治療費として月約一〇、〇〇〇円近くを支出し、また二男及び三男の教育費として毎月一人宛約二〇、〇〇〇円近くを送金している。そのため家計費には相当多額を要するが、毎月一一〇、〇〇〇円を下らない家賃地代の収入があるので、経済的にはなお相当余裕があるものと認められる。

(ロ)  三男享の資産、収入の状況等

三男亨は大垣商業高等学校教諭として勤務し、年俸六三五、〇六五円を得ているが、外に資産として現住家屋岐阜市桜木町一丁目○番木造瓦葺二階建居宅、建坪三二坪三五附属建物一棟と同市東栄町二丁目○番の二木造瓦葺二階建居宅建坪二六坪二五(以上岐阜市固定資産評価額八一五、七〇〇円)を有している。

三男亨の家族は妻文子との二人暮しであるから、経済的には相当余裕があるものと認められる。

(ハ)  八男辰彦の資産、取入の状況等

八男辰彦は大林組に勤務しているが、工事現場に従つて各地を転々と移動しているため、その資産、収入の状況を詳にするを得ない。

(ニ)  九男武郎の資産、収入の状況等

九男武郎は岐阜信用金庫笠松支店長として勤務し、年額六一七、〇〇〇円の給料を得ているが、外に資産として現住家屋岐阜市梅河町二丁目○○番地の二所在鉄筋コンクリート造ブロック二階建居宅建坪三二坪八六と同所宅地二九坪九二(以上岐阜市固定資産評価額一、六三八、五〇〇円)を有している。

家族は妻民子との二人暮しであつて、経済的には相当余裕があるものと認められる。

(ホ)  一二男伸彦の資産、収入の状況等

一二男伸彦は昭和二六年五月結婚し、漸く申立人の許を離れて独立するにいたつたものであつて、現在簡易保険局に郵政技官として勤務し、年俸二五七、六〇〇円を得ている。外に資産というべきものがない。

家族は妻紀子、長男英一、二男紀男の四人暮しであつて、その収入で漸く家族の生活を支えている実情であつて、経済的には全く余裕がない。

(2)  以上検討したところによると、申立人の子のうち二女寿子、八男辰彦、一二男伸彦の三人は経済的余力にも欠けるところがあつて少くとも現状においては申立人に対する扶養義務が生じていないとみることができる。しかし相手方、三男亨、九男武郎の三人は、経済的に余裕があり、申立人を扶養する余力のあることが明らかであるから、いずれも申立人に対する扶養義務が生じているということができる。そこでこの三人のうち誰が現実に扶養義務を負担すべきかについて検討してみるに、相手方は病気療養中の身であり、多数の家族を擁し家計費も相当多額支出しているのでこの上申立人を扶養することは相当の負担となることが窺えるが家賃、地代の収入が毎月一一〇、〇〇〇円以上に及び、これらの家計費を支出してもなお相当余力があり、その収入源たる土地、建物はすべて亡父の遺産を承継したものにかかり、他の二人と較べて資産も多く最も余裕のある生活を送つていること、また本件の申立にいたるまで当然のこととして申立人を扶養していたこと等が認められるので、相手方が将来も引き続き申立人を扶養すべき義務を負担するものと定めるのが相当である。

(3)  そこで扶養の程度と方法であるが、申立人は現住家屋の一部を修理してこれを賃貸すれば相当の家賃収入のあることを考慮して扶養料に代えて相手方から修理費用を受けることを強く希望している。しかし修理の個所と方法について今日まで紛争の絶え間のなかつたことを考え合わせて、扶養の方法としては金銭給付が相当であると認められる。そしてその額は申立人の生活状況に鑑みなお相当扶養の必要があること、また相手方の資産収入の状況に照らして申立人に対しその地位にふさわしい扶養をなすべき義務の存すること、その他本件に顕われた諸般の事情を斟酌して、月六、〇〇〇円が相当であると判断される。なお本件扶養料は申立人の扶養請求の意思表示が到達したものと認められる本件第一回調停期日である昭和三五年一二月二〇日の翌日から支払うのを相当と認める。そこで同月二一日から審判告知の月まで二年六ヵ月一一日間分金一八二、一二三円を即時に支払うべく、昭和三八年七月以降申立人の生存中毎月末限り上記金六、〇〇〇円を支払うべきものとする。

よつて主文のとおり審判する。

(家事裁判官 小森武介)

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